2013年3月30日土曜日

久しぶりの大賑わい

27〜29日は札幌からやってきた3家族(子ども7人)が加わって、大賑わい。
久しぶりに子どもたちの歓声と走りまわる音が、ゲストハウスを席巻した。
1歳のともひろ君も、お姉ちゃんとお兄ちゃんの遊び相手ができて大喜び。


巨大な雪山も子どもたちの恰好の遊び場になった

おもいっきり春休みブログ
http://ameblo.jp/project-fukushima/

創太君は電車が大好き

25日から滞在していたNさん一家が29日、下山した。
小学校1年の創太君は電車が大好きで、
北海道に来る途中で東北新幹線の「はやぶさ」を見たと大喜び。

29日は創太君の7歳の誕生日。
それを記念して、帰りは苫小牧まで電車を乗り継いで行くことにしたという。

余市駅を出発して、札幌駅では特急列車に乗り換える。
乗り換えの時間に余裕を持たせ、ホームから出発する列車、到着する列車を楽しむ予定。

余市駅では2両編成の電車に乗った創太君と菜々美ちゃんがいつまでもいつまでも手を振ってくれた。
「帰りたくない」と言った創太君。今度は、夏休みに会おうね。


25日、菜々美ちゃんと創太君の誕生日を一緒に祝った

2013年3月26日火曜日

雪山の大将


1家族が昨日からゲストハウスに滞在している。
今日が4歳の誕生日のななみちゃん、
雪山の上でにっこり。


おもいっきり春休みスタート(3/25)

13人の子どもたちと1家族が午後3時前に無事到着。
今日から「おもいっきり春休みin北海道」自然体験学校がスタートした。

自然体験学校の様子は下記ブログからどうぞ。

おもいっきり春休みブログ
http://ameblo.jp/project-fukushima/


子どもたちを迎えるため午前11時から始まったスタッフミーティング。
今回は新規採用のスタッフ5名も研修を兼ねて参加する。

2013年3月25日月曜日

今日の山の家(3/25)


今朝の山の家は快晴。
余市の町と海がよく見える。

誤算は冬休みよりは雪が減っているだろうと予想していたが、
3月に入ってからの大雪で
冬休みの倍は雪が残っていることだ。

午後3時ころに子どもたちが到着する。


2013年3月24日日曜日

いわき&那須塩原相談会(5)


那須塩原相談会その2

北海道のブースには、9組の家族が来られました。
大田原市、日光市、那須町、塩谷町と
那須塩原市の近隣地区からの来場者が多く、
栃木県北部が広範囲に汚染されていることを物語っていました。


相談者からは
「支援してくれる人がいるということがわかり、心強い」と言ってくれる人、
一方で、
「もっと線量の高い福島を優先しろ」と夫に言われ、
遠慮しながら来た人もいました。

実際、
「福島ではないけど、参加していいんですか」
と聞かれる方もいました。

いままで障がいのために保養に参加できなかった
広汎性発達障害の子(小1)を札幌協働福祉会の春休みキャンプにつなぎ、
参加決定しました。

今回の2カ所の相談会を終えて、
全国の受入れ団体のパートナーとなる
被災地側、送り出し側のネットワーク化が
見えてきたことは大きな収穫です。

そして、福島県内では声もあげれない状況があるなかで、
県境の栃木や宮城等周辺部から声をあげることがそうした人々を励ますことになり、
不安や心配を顕在化させることにもつながることを確認できたという点で意義ある相談会でした。(完)

いわき&那須塩原相談会(4)


那須塩原相談会その1

2月24日の那須塩原市での相談会は11時から15時まで
東那須野公民館(栃木県那須塩原市)で行われました。

同公民館は新幹線那須塩原駅のすぐ裏手にありました。
原発の爆発の時、多くの避難者がここで新幹線に飛び乗り、
乗り捨てられた車が駅周辺の駐車場にあふれたそうです。

市内に入り、バスの中で放射線量を測ると0.2μs/hまであがりました。
CRMSの人たちが周辺一帯の空間放射線量を計測したところ
「0.3~0.5μs/hが満遍なく広がっていて、福島市中心部よりも高い」
と言ってました。

今回の相談会を地元で準備した
「那須塩原放射能から子どもを守る会」の副代表、瀧アケミさんによると、
事故当時は1μs/hを越える場所もあり、雨樋は200μs/hもあったそうです。

それでも、多くの人が無関心で、
移住や保養を求める声が聞かれない、
今日は誰も来ないかもと言っていましたが、
ふたを開けると50組くらいの方々が来場されました。
(写真は会場の東那須野公民館駐車場)

いわき&那須塩原相談会(3)


午後2時から6時までの予定で相談会が始まりましたが、
地元の團野さんも驚く130組ほどの来場者が訪れました。

北海道のブースには16組の相談があり、
休む暇もないほどでした。

北海道ブースの16組中15組がいわき市内から、
1組だけ二本松市から来られた方がいました。

今回目立ったのは、
2家族で各ブースを回られている方が多かったこと。
むすびばの16組中8組がそうでした。

10歳の子のお母さんは、
外遊びが減って、子どもが肥満傾向にあり、
長期の保養希望とのことでした。

小学校5年の双子のお母さんは、
子どもだけを線量の低い場所に転校させたいとのことでした。
「オンコのかけはし」の殿平さんが
受入れ可能との返事をいただき、
つなぎました。
お母さんは子どもたちと充分相談し決めたいと話していました。

フクイチ事故のあと双子を出産したお母さんは
「ここにとどまっていていいのだろうか」
とずーっと悩んでいますと言ってました。

この他、
「いわき出発の保養プログラムがないんですよね」
「毎回、保養先をさがして疲れます。毎年同じ保養先に行けるのが理想です」
との声も聞かれ、今後の企画立案に大変参考になりました。

地元からは、夏休みに向けて
またぜひ、いわきで開催してほしいと強い要望がありました。

いわき&那須塩原相談会(2)


いわき相談会
 中通りは新幹線が走るのに、浜通りは交通の便が悪い場所が多いです。
といっても、いわき市は県下最大の人口を誇る都市です。

いわき市へは、JR磐越東線が走っていますが、本数が少ないので、高速バスの方が便利です。
私も高速バスでいわきに向かいました。

雪の積もっていた郡山から1時間30分で、
雪のないいわきに到着。
8階建ての駅前再開発ビルのラトブ(写真下)、
その6階の企画展示ホールが会場です。

今回は、
CRMS(市民放射能測定所、福島市)による健康相談ブースと
SAFLAN(福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク)による法律相談ブース
を併設。

また、北海道からじゃがいもと玉葱を用意し
(らる畑、有機農業ネットワークの協力)、
来場者から大いに喜ばれました。

地元の「いわきの子供を守るネットワーク」(代表・團野和美)が
開催準備と当日の運営に尽力していただき、
スムーズな運営ができました。

團野さんはじめ会員の方のお子さんが
札幌恊働福祉会の保養キャンプに参加しており、
そのつながりで今回協力してもらうことができたのです。
いわきでの初めての相談会に寄せる期待も大きかったようです。

いわき&那須塩原相談会の報告(1)


全国の保養避難の受入れ団体のネットワーク
「311受入全国協議会」(略称・うけいれ全国)は
「リフレッシュキャンプinいわき&那須塩原相談会」を
2月23、24日に実施しました。
遅くなってしまったが、何回かに分けて報告します。

福島県浜通りでは初めて開催するいわき市、
そして県境の栃木県那須塩原市、
いずれも初めての開催地です。

いわき市は「比較的線量が低い」と言われ、
中通りとくらべるとあまり注目されませんでした。

しかし、事故直後の放射能プルームは
中通りよりも浜通りに広がったことがわかり、
子どもたちの甲状腺への影響を心配する保護者が多いのです。

同様に「福島県の外側だから」と、
公的支援や民間支援から取り残されてきた県境ですが、
放射能のプルームは関東平野へも広がっていきました。
栃木県北部の那須塩原市はもっとも線量の高い地域の一つです。

北海道からは「むすびば」のほか、
「福島の子どもたちを守る会北海道」、
「真宗支援ネット・オンコのかけはし」
「大沼・駒ケ岳ふるさとづくりセンター」
の4団体が参加しました。

2013年3月19日火曜日

無題



雪の上でお昼寝?

山の家に滞在している今年5歳のレオン君。雪の上に大の字になって、お昼寝。気持ち良さそう。


今日の山の家

今日の山の家は、晴、風強し。気温は4℃。雪がどんどんと溶けていく。それでも半端じゃない量の雪がなくなるのはいつのことか。春休みの子どもたちが来るまで1週間を切った。昨日は、本部から除雪班が入って、フレンドハウスを中心に除雪し、迎える準備が着々と進んでいる。



2013年3月13日水曜日

もうすぐ春

暴風雪と雪解けが交互に訪れる3月の山の家です。
フレンドハウスの裏は、
1階が完全に雪で埋まっています。
今年の雪の多さを物語っています。



心のケア


10日に札幌コンベンションセンターで「3.11ようこそあったかい道」のイベントがあり、
お二人の避難されたお母さんと話す機会をもった。

一人の方は、話し相手がいない、引きこもっていて外出できない、
中2の息子が学校でいじめを受けている、そんな話しだった。

もう一人の方は、フクイチでまた爆発事故が起きたらどうしよう、
ここ札幌で大きな地震が起きたらどうしよう、
そんな心配ばかりして生活している。
そんな生活に疲れてしまった。

続けざまに、そんな話しを伺い、
2年経って、より深刻化した局面が生まれているんだな、
(お母さんたちの精神的なケアが必要だな)と痛感させられた。

爆発事故のあと双子のお子さんを出産したいわき市在住のお母さんが、
「このままここに住んでていいのか、いまでも悩んでいます」と言われた。
避難できない方は、避難できないことで悩んでいる。

福島に残っている人も、避難した人も、ずーっと悩み続け、
ストレスを溜め込んでいる。


福島の中学校の卒業式

今日は福島の中学校の卒業式。
そして、311から2年。
卒業生が1年生のときに大地震と原発事故が起こった。
それから2年、卒業生は何を感じ、何を考えているのだろうか。


山の家の保養キャンプに毎回参加しているY君が
送ってくれたメール。

********
僕にとって
三年間(特に2・3年生時)は
一瞬でした。

東北地方太平洋沖地震による
東日本大震災。。。

あれから2年と2日。

色々な方と出逢い、
色々な事を学びました。

そして、
自分の目指す夢を
定めさせてくれました。

あとはその夢に向かって
日々邁進するのみです。



2013年3月9日土曜日

短歌3題


東京新聞「犠牲の灯り」に
事故当時沖縄・石垣島に長男(7才)を連れ
避難していた俵万智さんの短歌が掲載されていました。



子を連れて 西へ西へと 逃げてゆく
愚かな母と 言うならば言え


まだ恋も 知らぬ我が子 思うとき
「直ちには」とは 意味なき言葉


何よりも 大事なことと 思うなり
この子の今日に 笑みがあること

**************
山の家に再び、冬が戻って来た。
昨夜来の暴風雪で積雪40cm。

2013年3月7日木曜日

いろんな表情を見せる山の家





ホワイトアウト

先週末、北海道を襲った暴風雪で、
9人の犠牲者が出た。
方向感覚を失うホワイトアウト現象と推測されている。

山の家もその暴風雪の影響で、
フレンドハウスが雪に閉じ込められた。
先週に続いて、今日除雪軍団が入り、
フレンドハウスとゲストハウスの周り、
そして除雪車の車庫の屋根を
きれいに除雪してくれた。

たくさんの人の手で
山の家は維持されている。

フレンドハウスの裏側に天につながる広場があった



フレンドハウスの裏側(北側)50mくらいの所に素敵な広場があった。
端まで行くと木々の間から余市の街と海が見える。

この道の突き当たりがフレンドハウス。広場とフレンドハウスをつなぐ回廊。

天国につながる庭

 神々の庭

もうひとり札幌に避難する中3

福島県立高校を自己推薦で合格した、
いわき市のT君もお母さんと4月に札幌に避難する。。
札幌の高校に転入学するには、筆記試験がある。

北海道の公立高校の試験は5日に終わった。
道立高校の入試問題と解答が載った昨日の新聞を
今日T君に送った。

がんばれ!
道を開くのは自分だ!
T君は<むすびば>の「受験勉強付きサマーキャンプ」に
昨年の夏休みに参加した。

週末は山の家で過ごし、
余市の海でおもいっきり遊んだ。

帰ってから成長した姿を見せてくれた息子に
T君のお母さんは大喜び。
そのことが、札幌避難へとお母さんの背中を押したようだ。





山の家は雨

試験も終わったのに、スグル君から何の連絡もない。
うまくいかなかったのかなと思い、
「山の家は雨。
 結果はどうあれ、
 未来は我々のものだよ」
とメールを送った。

夜9時前にお母さんからメールが来た。
「入試を終えた息子・・・
 帰宅してみたら、爆睡。
 起こさず、
 そのままのしておきます」

お疲れさま。


雨だ!今年初めての雨が山の家に降る。春が確実に近づいている。(午後4時)

午後6時、余市の街の灯りが見えて来た。それにしても、日が長くなった。

今日、福島の高校入試

「明日受験です。がんばります」というメールが昨日入った。「おもいっきり夏休み」に参加している中3の横田優君からだ。福島の高校を受験する。4月からは札幌に避難し、札幌の高校に転入学する。そのためにも、ぜひ合格してほしい。今朝、高校の校門まで送ったお母さんからは「あまり緊張している風でもなく、いつもの優でした」とのこと。13日が中学の卒業式で、14日入試の合格発表。