2014年6月3日火曜日

余市の果樹栽培の歴史


<牧野時夫さんのFBより>

■ 余市町の果樹栽培の特徴
 北海道の果樹生産額は、全国の1%未満(全国33位。農業総生産額は、全国の約12%で断トツ1位)。全道の農業生産額に占める果樹生産額の割合は0.6%ほどに過ぎないが、その6割ほどを後志地方の余市町と隣の仁木町の両自治体で占めている。余市町の耕地面積のうち8割ほどが樹園地であり、一般に果樹栽培が盛んではない北海道において、非常に特異な農業地域と言える。北に暖流の日本海流の流れる石狩湾があり気候は穏やか、西には冬の季節風を遮る積丹山塊があり、厳冬期には果樹を凍害から守るのに十分な積雪がある。東には小樽、札幌という大消費地を間近に控え、観光果樹園としての立地も申し分ない非常に恵まれた土地である。
 主要な果樹は、リンゴ、ブドウ、オウトウ(サクランボ)で、これらは全国でも上位に入るが、ナシ(西洋ナシ、日本ナシ)、スモモ(プラム、プルーン)、モモ、ウメ、クリ、クルミ、小果樹類(ブルーベリー、ハスカップ、カーラント、グースベリー、ラズベリー、アロニア、シーベリー)等も栽培され、経済栽培ではないがキウイフルーツやカキも実る。醸造用ブドウに限れば、北海道が長野県を押えて全国一の生産量を誇り(生食用は山梨県)、その中で最大の生産地が余市町である(面積では浦臼町であるが、生産量は余市町がはるかに多い)。他自治体(道外も含め)ではワイナリー直営農場などが規模を誇る中、余市町では1戸で5ha~10haを超える面積で栽培する醸造用ブドウ専業農家も少なくない。

■ 余市町(および北海道)における果樹栽培の歴史
明治2(1869)七飯町でプロシア人ガルトネルがリンゴ・ブドウ・西洋ナシなどの果樹を植栽。
翌年より、北海道開拓使函館出張所が、栽培を引き継ぐ。
明治4(1871)山田村(現余市町山田町)と黒川村(現余市町黒川町)に旧会津藩士が入植。
明治5(1872)北海道開拓使(東京)ケプロンがアメリカ他から果樹苗木4900本導入。
 リンゴ75種、西洋ナシ53種、オウトウ25種、スモモ14種、アンズ4種、ネクタリン5種、ブドウ30種、カーランツ10種、グースベリー8種、ラズベリー14種
明治6(1873)開拓使導入の苗木、七飯と札幌に移植
明治8~9 開拓使導入の果樹苗、道内各地の農家に無償配布
 余市には明治8年800本、翌9年500本が配布される。
明治10(1877)余市でブドウ初結実。
明治12(1879)余市でリンゴ初結実。緋之衣(19号、Kingof Tompkins County)及び国交(49号、Ralls Janet)。余市では最近まで導入番号が通称になってい たが、これは北海道独自の番号。七飯と共に日本で最初のリンゴ(苹果、西洋林檎)栽培の成功。
 その後、祝(14号、American SummerPearmain)、紅玉(6号、Jonathan)等も普及。
明治13(1880)「農業博覧会」(札幌)に余市リンゴが出品され好評を博す。これを契機に栽培増加。
明治14(1881)黒川村から仁木にかけての700町歩に毛利農場開設。支配人・粟屋貞一。
 稲作(北海道では恵庭市島松に次ぐ栽培開始)、畑作、農耕馬の放牧・採草地などに加え、果樹も栽培。その後、毛利農場では小作争議が発生、礼文島に漁  場を経営していた小樽の中山喜六が農場を譲り受け、中山農場と改称。130戸あった小作人の権利を擁護し、道内随一の模範農場とされる。
明治20(1887)余市で飯田ナシと相内ナシが発見される。飯田ナシは、中国梨の鴨梨(ヤーリー)の実生と考えられたため、ヤーリーと呼ばれていたが、豊産性のため、その後は身不知(みしらず)、千両梨と呼ばれるようになった。
明治26(1893)東京市場に初の国産リンゴとして、余市産の3号、6号(紅玉)、8号、19号(緋之衣)、48号、49号(国交)が出荷される。
明治37(1904)~ 余市の高山果樹園から皇室にリンゴが献上される。
明治39~大正4(1915) 日露戦争後、ウラジオストックへの貿易が盛んになり、日持ちする余市リンゴの品質が認められ盛んに輸出されたが、1915年のロシア革命で日本からの輸入が禁止され終焉。
 明治40年頃には200戸のリンゴ農家、栽培面積600町歩に達する。
大正元(1912)北大果樹園(当時、東北帝国大学農学部)が山田町に開設。当初、隣接する高山果樹園が管理栽培。
大正2(1913)中山農場(旧毛利農場)の経営者が変わり駒谷農場となる。
大正9(1920)大浜中地区でブドウ栽培が本格化する。
昭和3(1928)~43(1968)北大果樹園のリンゴ、戦争末期を除き毎年、皇室に献上される。
 旭(McIntosh)は、札幌農学校が導入した品種。
昭和4(1929)~ ニシン漁で栄えた余市であったが度々ニシンが不漁となり、昭和30年以降は全く獲れなくなる。ニシン網元では多角経営に乗り出し、農場を経 営するところも出てくる。
昭和9(1934)大日本果汁株式会社北海道原酒工場(現ニッカウヰスキー余市蒸留所)が竹鶴政孝により設立され、販売まで年数のかかるウイスキー製造を、リ ンゴ果汁販売で軌道に乗せる。
昭和13(1938)ニッカウヰスキー、アップルワインを発売。
昭和19(1944)駒谷農場、終戦後のGHQによる農地解放に先駆け、小作人に農地を解放する。その際、共有地として18haを共栄組合に譲渡。
昭和26(1951)~41(1966) 北大果樹園で、一般農家向けに農閑期の講習会が、本校教授陣により開催される。
昭和28 余市町のりんご664ha、ぶどう33ha、なし42ha、おうとう10ha
昭和29(1954)昭和天皇・皇后、戦後初の北海道行幸で北大果樹園を訪問。
昭和30(1955)豊丘町の農家がアメリカ合衆国から日本で最初のスピードスプレーヤ(農薬散布車)を導入。その後、町内の川南鉄工でスピードスプレーヤ製造(昭和33~平成10年頃まで)
昭和32 余市町のりんご1025ha、ぶどう130ha、なし42ha、おうとう15ha
昭和40     りんご1040ha、ぶどう260ha、なし40ha、おうとう30ha
昭和48(1973)余市町にリンゴの矮性台木M7とM9が導入される。
同   (1973)道立中央農業試験場が仁木町でドイツ・オーストリア系の醸造用ブドウ19品種の試験栽培開始。
昭和49(1974)日本清酒株式会社が清酒工場の設備を転換して「余市ワイン」設立。
昭和40代 減反政策で、水田の転作作物として黒川町を中心にぶどうへの転換が進む。
 大正時代からのキャンベル、ナイアガラ、デラウエアに加え、バッファロー、ポートランド、 旅路(紅塩谷)が普及する。
昭和50(1975)余市町でぶどうのハウス栽培が始まる(2戸)
昭和50代 台風被害や腐乱病の蔓延、価格の低迷でりんごの伐採が進む。
昭和55(1980)余市町にリンゴの矮台M26が導入され、矮化栽培が本格化する
昭和56(1981)北後志園芸試験場が、余市町と仁木町共同で設立。平成7年に各町立に分離。
同   北海道が醸造用ブドウの優良品種としてツヴァイゲルト・レーベ、セイベル13053(以上赤)、ミュラートゥルガウ、セイベル5279(以上白)の4品種推奨。
昭和57(1982)余市町ハウスブドウ生産組合が発足。国の助成制度も認められ、数十戸が一斉に取り組む。
昭和58(1983)サッポロワイン(株)が町内の生産者(加藤邦昭氏)と醸造用ブドウの栽培契約を締結(品種:ケルナー)
同   余市町でおうとう(サクランボ)の雨よけハウス栽培が始まる。
   余市町のりんご 644ha、ぶどう479ha、なし152ha、おうとう58ha
昭和59(1984)北海道ワイン、余市ワイン、はこだてワイン、ニッカウヰスキーが町内の生産者と醸造用ブドウの栽培契約を締結。醸造用ブドウ栽培が本格化。  JAよいちが間に入り、基準糖度を基にした価格体系もできる。その後グレイスワイン(中央葡萄酒千歳ワイナリー)が平成8年、十勝ワイン(池田町ブドウ・ブドウ 酒研究所)が平成14年に町内の生産者と契約締結。
昭和61(1986) JAよいちでジュース工場建設「りんごのほっぺ」製造開始。
同   北海道立中央農業試験場(長沼町)育成のリンゴ「ハックナイン」配布
    期待の品種として導入が進むが、秀品率の低さ等から採算性悪く栽培広がらず。
平成2(1990)りんご 460ha、 ぶどう482ha、 なし111ha、 おうとう87 
  りんごのうち、50%超をスターキング・デリシャスが占める。
  りんご栽培から、醸造用ぶどうへの転換が進む
平成16(2004) りんご283ha、ぶどう465ha、なし81ha、おうとう133ha
スターキングはほとんど栽培されなくなる。つがる、ふじ、レッドゴールド、きたかみ。
 ぶどうのうち約100haは、醸造用品種(ケルナー、ツヴァイゲルト・レーベ、ミュラートゥルガウが主要3品種、最近はバッカス、ピノ・ノワール等が増加)
平成21(2009) 北大果樹園を擁する北海道大学北方圏フィールドセンターと余市町が提携(自治体では北大と協定を締結するのは2例目)、道内農学系3大学に よる地域拠点型農学エクステンションセンターにも選ばれる(道内8ヶ所)。
平成22(2010)ココワイン(栃木県)の栽培責任者だった曽我貴彦によりドメーヌ・タカヒコ設立。ピノ・ノワール3000本植栽、近隣農家のブドウにより醸造開始。
平成23(2011)余市町が北海道で初の「北のフルーツ王国よいちワイン特区」に認定され、果実酒醸造免許の最低製造量が6KLから2KLに軽減される。
平成25(2013)新潟でカーブ・ドッチを経営していた落希一郎・雅美両氏によりOcciGabi(オチガビ)ワイナリー設立。ブドウ園、庭園、レストラン、売店(コンサート  ホール)を併設。契約農家の原料で醸造開始。
同    余市リタファーム(菅原誠人)が、ワイン特区により醸造開始。
平成26(2014)登醸造(小西史明)が、ワイン特区により醸造開始予定。

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